2026年8月17日【日本保守党 終戦談話】かなり素晴らしい文章。しかしなぜポピュリズム マーケティング混ぜるかな。
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2026年08月17日
終戦の日に寄せて(代表談話 全文)
本日、大東亜戦争終結から八十一年を迎えました。戦没者の皆様へ謹んで哀悼の意を表します。
あの戦争を戦った人の多くが亡くなり、戦後すぐに生まれた人たちでさえ、八十歳を超えています。「もはや戦後ではない」と経済白書に書かれたのは終戦から十一年後の昭和三十一年でした。それからも早七十年、大東亜戦争はすでに歴史となったと言えます。
しかし日本政府は今も戦争を正しく振り返っていないように私の目には見えます。あの悲劇がなぜ起こってしまったのか。それを調べ尽くしてこそ真の反省が生まれます。
大東亜戦争の直接の原因は、昭和十六年八月のアメリカからの石油の全面禁輸でした。当時、我が国が全消費量の八十パーセントを頼っていたアメリカの石油を絶たれるということは、国の「死」を意味しました。
それを回避するには、アメリカから突きつけられたハルノートの要求をのむか、油田を得るためオランダ領インドネシアに侵攻するかの二者択一でした。仮にハルノートを受け入れれば、即死は免れたでしょうが、緩慢な死が訪れたことは疑い得ません。そうなっていたなら、当時のほぼ全ての有色人種と同じく、日本は欧米列強の支配下に置かれたことでしょう。
果たして日本が選んだのはオランダが支配していたインドネシアの油田を得る戦いでした。そうなればフィリピンの米軍基地の航空部隊とシンガポールの英国艦隊、そして真珠湾の米艦隊が出撃してくることは明らかでした。真珠湾攻撃はそのために行なわれました(同日、フィリピンの米軍基地も攻撃しました)。
つまり大東亜戦争は石油資源を原因として起こった戦争だったのです。敢えて極論すれば、先の大戦で亡くなった先人は石油のために命を懸けたとも言えます。
にもかかわらず今日の日本政府がこの失敗に真摯に向き合っているとはいえません。エネルギー政策において、長期に安定したエネルギー源の確保を目指す視座や行動がなく、その場しのぎの策しか取ってこなかったように見えます。
そのことが本年のホルムズ海峡危機で図らずも露呈しました。これは大東亜戦争の徹底した原因追及を怠ったせいでもありましょう。近い将来エネルギー政策において、再び大きく国策を誤ることがあれば、先の大戦で命を落とした先人に申し訳が立ちません。
むろん石油だけが戦争の原因ではありませんでした。
十五世紀から二十世紀前半までの数百年の歴史を見ることなく、あの戦争を語ることはできません。その歴史とは白人の列強国による有色人種への侵略と支配であり、大東亜戦争はその集結であり清算でもあったのです。
東南アジアに出兵した日本に、戦争責任がないとは言いません。これら地域における日本の占領統治は必ずしも寛大なものではなく、一部には資源の収奪もありました。しかし何百年にもわたってアジアを植民地支配していたイギリス、フランス、オランダ、アメリカと日本が戦い、彼らを駆逐した結果、戦後のアジア諸国の独立が成った面は否定できない事実です。
中華民国との戦争も満洲の権益を巡っての国益のぶつかり合いでした。今日、満洲は日本が中華民国から奪ったと認識する向きがありますが、これは誤りです。もともと満州は女真族(満州族)の故地であったものを、中華民国が建国時に自国領だと宣言したに過ぎず、歴史上、漢族の国が満洲を実効支配したことはありません。
「戦争の世紀」とも呼ばれる二十世紀には、二つの世界大戦のほかにも多くの戦争がありました。なかでも我が国は大東亜戦争において、多くの国で少なくない人命を奪い、同時に、祖国に殉じた二百三十万の兵士を含む三百万余もの自国民を失いました。
東京、大阪での大空襲、広島と長崎の原爆投下という世界史上でも稀な惨禍にも見舞われました。
にもかかわらず、戦後の日本人は「自国だけが悪かった」という贖罪意識を強く持ち過ぎました。戦争責任が日本のみにあり、欧米や中華民国にないかのように捉えるのは明らかに誤りです。贖罪が昂じて自虐思考に陥れば、歴史と戦争への理解を歪め、思考停止を招く危険さえ孕みます。これが今日、アジアの一部の国々との関係をおかしくしている一因でもあります。
戦後の日本は、世界が驚倒する復興と経済発展を遂げ、世界平和に貢献しました。戦時に占領した国々を含む途上国へ、多くの援助を行ない、敵国だったアメリカとは強固な同盟と親善関係を築いています。
戦後八十一年、戦争の「罪」は償ったと言えるでしょう。少なくとも、三代も前の世代の罪を現代の日本人が背負う必要はありません。歴史となった戦争を振り返るのは、本来歴史家の仕事です。私たちは歴史を政争の具とせず、未来の平和と繁栄をいかに構築するかを考える標とすべきではないでしょうか。
令和八年八月十五日
日本保守党 代表 百田 尚樹
https://hoshuto.jp/hoshuto-81th-discourse_260815/
YouTubeの説明欄なら、「百田氏は嘘をついている」と断定するより、「事実の一部を切り取り、複雑な経緯を二択の物語にしている」と書く方が強いと思う。
こんな感じがええで。
百田尚樹氏の談話に感じる「ポピュリズム」
今回の談話で気になるのは、石油禁輸という実際に重大やった事実を軸に、複雑な開戦までの経緯を「石油を止められた→日本は死ぬ→ハル・ノートを飲むか、南方の油田を取りに行くか→戦うしかなかった」という一本道の物語にしているところや。
実際には、日本は南部仏印へ進駐する前から米国側の強い警告を受けており、石油禁輸後も、戦争準備を進めながら外交交渉を続けていた。11月5日の御前会議でも12月初頭の武力発動を予定しつつ、12月1日までに外交交渉がまとまれば開戦を中止する余地を残していた。最終的な開戦決定は12月1日や。
つまり「ハル・ノートを飲むか、油田を取りに行くかの二択やった」という説明は、史実の複雑な意思決定をかなり単純化している。
ここに百田氏のポピュリズムの上手さがあると思う。
「複雑な歴史」から都合のええ事実を抜き出して、
恐怖(石油がない)
↓
敵(欧米列強)
↓
二択(従うか戦うか)
↓
結論(日本は戦うしかなかった)
という、誰にでも理解できる一本道の物語に変換する。
これは「全部が嘘」という意味やない。むしろ、本当の出来事をどう並べるか、どの事実を強調して、どの事実を省略するかが上手いということやと思う。
歴史を分かりやすくすること自体は悪いことやない。
ただ、分かりやすさのために「本当は存在した別の選択肢や、日本側自身の意思決定」まで消してしまうと、それは歴史の説明というより、政治的に刺さる「物語」になってしまう。
今回の動画では、そこを時系列で確認していきます。
#日本保守党
#百田尚樹
#有本香
#あさ8
#終戦の日
本日、大東亜戦争終結から八十一年を迎えました。戦没者の皆様へ謹んで哀悼の意を表します。
あの戦争を戦った人の多くが亡くなり、戦後すぐに生まれた人たちでさえ、八十歳を超えています。「もはや戦後ではない」と経済白書に書かれたのは終戦から十一年後の昭和三十一年でした。それからも早七十年、大東亜戦争はすでに歴史となったと言えます。
しかし日本政府は今も戦争を正しく振り返っていないように私の目には見えます。あの悲劇がなぜ起こってしまったのか。それを調べ尽くしてこそ真の反省が生まれます。
大東亜戦争の直接の原因は、昭和十六年八月のアメリカからの石油の全面禁輸でした。当時、我が国が全消費量の八十パーセントを頼っていたアメリカの石油を絶たれるということは、国の「死」を意味しました。
それを回避するには、アメリカから突きつけられたハルノートの要求をのむか、油田を得るためオランダ領インドネシアに侵攻するかの二者択一でした。仮にハルノートを受け入れれば、即死は免れたでしょうが、緩慢な死が訪れたことは疑い得ません。そうなっていたなら、当時のほぼ全ての有色人種と同じく、日本は欧米列強の支配下に置かれたことでしょう。
果たして日本が選んだのはオランダが支配していたインドネシアの油田を得る戦いでした。そうなればフィリピンの米軍基地の航空部隊とシンガポールの英国艦隊、そして真珠湾の米艦隊が出撃してくることは明らかでした。真珠湾攻撃はそのために行なわれました(同日、フィリピンの米軍基地も攻撃しました)。
つまり大東亜戦争は石油資源を原因として起こった戦争だったのです。敢えて極論すれば、先の大戦で亡くなった先人は石油のために命を懸けたとも言えます。
にもかかわらず今日の日本政府がこの失敗に真摯に向き合っているとはいえません。エネルギー政策において、長期に安定したエネルギー源の確保を目指す視座や行動がなく、その場しのぎの策しか取ってこなかったように見えます。
そのことが本年のホルムズ海峡危機で図らずも露呈しました。これは大東亜戦争の徹底した原因追及を怠ったせいでもありましょう。近い将来エネルギー政策において、再び大きく国策を誤ることがあれば、先の大戦で命を落とした先人に申し訳が立ちません。
むろん石油だけが戦争の原因ではありませんでした。
十五世紀から二十世紀前半までの数百年の歴史を見ることなく、あの戦争を語ることはできません。その歴史とは白人の列強国による有色人種への侵略と支配であり、大東亜戦争はその集結であり清算でもあったのです。
東南アジアに出兵した日本に、戦争責任がないとは言いません。これら地域における日本の占領統治は必ずしも寛大なものではなく、一部には資源の収奪もありました。しかし何百年にもわたってアジアを植民地支配していたイギリス、フランス、オランダ、アメリカと日本が戦い、彼らを駆逐した結果、戦後のアジア諸国の独立が成った面は否定できない事実です。
中華民国との戦争も満洲の権益を巡っての国益のぶつかり合いでした。今日、満洲は日本が中華民国から奪ったと認識する向きがありますが、これは誤りです。もともと満州は女真族(満州族)の故地であったものを、中華民国が建国時に自国領だと宣言したに過ぎず、歴史上、漢族の国が満洲を実効支配したことはありません。
「戦争の世紀」とも呼ばれる二十世紀には、二つの世界大戦のほかにも多くの戦争がありました。なかでも我が国は大東亜戦争において、多くの国で少なくない人命を奪い、同時に、祖国に殉じた二百三十万の兵士を含む三百万余もの自国民を失いました。
東京、大阪での大空襲、広島と長崎の原爆投下という世界史上でも稀な惨禍にも見舞われました。
にもかかわらず、戦後の日本人は「自国だけが悪かった」という贖罪意識を強く持ち過ぎました。戦争責任が日本のみにあり、欧米や中華民国にないかのように捉えるのは明らかに誤りです。贖罪が昂じて自虐思考に陥れば、歴史と戦争への理解を歪め、思考停止を招く危険さえ孕みます。これが今日、アジアの一部の国々との関係をおかしくしている一因でもあります。
戦後の日本は、世界が驚倒する復興と経済発展を遂げ、世界平和に貢献しました。戦時に占領した国々を含む途上国へ、多くの援助を行ない、敵国だったアメリカとは強固な同盟と親善関係を築いています。
戦後八十一年、戦争の「罪」は償ったと言えるでしょう。少なくとも、三代も前の世代の罪を現代の日本人が背負う必要はありません。歴史となった戦争を振り返るのは、本来歴史家の仕事です。私たちは歴史を政争の具とせず、未来の平和と繁栄をいかに構築するかを考える標とすべきではないでしょうか。
令和八年八月十五日
日本保守党 代表 百田 尚樹
https://hoshuto.jp/hoshuto-81th-discourse_260815/
YouTubeの説明欄なら、「百田氏は嘘をついている」と断定するより、「事実の一部を切り取り、複雑な経緯を二択の物語にしている」と書く方が強いと思う。
こんな感じがええで。
百田尚樹氏の談話に感じる「ポピュリズム」
今回の談話で気になるのは、石油禁輸という実際に重大やった事実を軸に、複雑な開戦までの経緯を「石油を止められた→日本は死ぬ→ハル・ノートを飲むか、南方の油田を取りに行くか→戦うしかなかった」という一本道の物語にしているところや。
実際には、日本は南部仏印へ進駐する前から米国側の強い警告を受けており、石油禁輸後も、戦争準備を進めながら外交交渉を続けていた。11月5日の御前会議でも12月初頭の武力発動を予定しつつ、12月1日までに外交交渉がまとまれば開戦を中止する余地を残していた。最終的な開戦決定は12月1日や。
つまり「ハル・ノートを飲むか、油田を取りに行くかの二択やった」という説明は、史実の複雑な意思決定をかなり単純化している。
ここに百田氏のポピュリズムの上手さがあると思う。
「複雑な歴史」から都合のええ事実を抜き出して、
恐怖(石油がない)
↓
敵(欧米列強)
↓
二択(従うか戦うか)
↓
結論(日本は戦うしかなかった)
という、誰にでも理解できる一本道の物語に変換する。
これは「全部が嘘」という意味やない。むしろ、本当の出来事をどう並べるか、どの事実を強調して、どの事実を省略するかが上手いということやと思う。
歴史を分かりやすくすること自体は悪いことやない。
ただ、分かりやすさのために「本当は存在した別の選択肢や、日本側自身の意思決定」まで消してしまうと、それは歴史の説明というより、政治的に刺さる「物語」になってしまう。
今回の動画では、そこを時系列で確認していきます。
#日本保守党
#百田尚樹
#有本香
#あさ8
#終戦の日